私が「ベトナム」に行きたい理由。
- Maiko
- 2020年10月30日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年11月6日

私の心に「ベトナム」という国がとても近づいたのは2015年に”彼ら”に出会ってからだった。
旅行会社を辞めて、1年半程、私は軽井沢のパン屋でフランスパンを作っていた。都会の中の自然を感じない生活と、接客業と営業成績と数字に追われる日々から距離を置きたくて、美しい「軽井沢」という土地と美味しい「パン」に惹かれて。
海外旅行の手配をメインにしていた私だから、もちろん「ベトナム」のことは知っていたし、人気の観光地でもあったので、手配も頻繁にしていた。
南北に長い東南アジアの国。世界遺産のハロン湾があって、フォーが美味しくて、コーヒーはコンデンスミルク入りで甘いのが特徴的。首都は北部にあるハノイ、南部には大都市ホーチミンがあって。サイゴン川のディナークルーズは、お客さんに人気のスポット。
私が仕事を辞める直前の2014年頃は、中部のリゾート開発が進み、ダナンやホイアンのビーチ沿いに続々と外資系のホテルも建っていた。ダナンから日本への直行便も就航し、ベトナム観光への関心は高まり、私も知識を深めていたと思う。でもそれは、あくまでも、業務的で、旅行手配を生業とする立場上でのこと。

仕事を辞めて、軽井沢へ行くまでの間、従兄弟の家に居候させてもらっていた。従兄弟は、戦争映画が好きで、「ベトナム戦争」を題材にしたDVDがたくさんあったので、映画好きの私は、何とはなくそれを見ていて、観光地として知る「ベトナム」とは、また違った側面を感じた。
2015年の7月に「軽井沢」へ行くことに決めて、私は従兄弟の家を後にした。パン屋で住み込みで働き始めたのだ。
”彼ら”とは、そこで働く、ベトナムから来ていた「外国人技能実習生」だった。「技能実習生」の制度について、私は懐疑的になっている部分が少しあるが敢えて触れないでおく。
初めて会った時は、食品製造によくある白い作業着と前掛け、帽子にマスク姿で目元しか見えなかったけれど、笑顔がとても優しくて、印象に残った。
”彼ら”と一緒に働くようになって、寮で生活を共にして、結果、私は「ベトナム」という国が気になって仕方がない。
”彼ら”はよく、笑う。歌う。話す。そして、国を愛して家族への愛をストレートに表現する。
花が咲いたら喜んで、紅葉が赤くなるのを待っていて、好奇心が旺盛で、物を大切にしていて、自転車を簡単に修理したり、トマトを育ててみたりする。恋することも忘れない。
生きることに、すごくすごくハングリーで。家族や恋人、国に対する「愛」を表現することに躊躇いがなくて。
その姿が私には眩しくて、羨ましかった。
だから、彼らが育った環境や国を見てみたいと思って、行きたくてたまらない。日本では感じられなかった”何か”や私が忘れてしまった”感情”や、押し殺してしまった”思い”を見つけ出せるかもしれないと思ってしまう。
素直になれるかもしれないと、表現できるかもしれないと。
受け止めてもらえるという安心感と。
もうすぐ、私に優しくて温かい日々をプレゼントしてくれた”彼ら”がベトナムへ帰国する。日本からいなくなってしまうことに、思いの外、寂しさを感じている自分に驚いて、心を落ち着けるために書いている。
国へ帰っても、”彼ら”はきっと笑顔を忘れないだろう。
私の琴線に触れた物の、、正体を確かめに必ず訪れたい国。
それが、私にとっての「ベトナム」。
「ありがとう」という言葉を胸に、”彼ら”の門出に心からエールを送りたいと思う。
Smiycle
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