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93歳のソウル

  • 執筆者の写真: Maiko
    Maiko
  • 2020年6月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年12月17日

ある日の昼下がり。腰の曲がった、優しい顔した細っこいおばあちゃんが私の前にちょこんと腰を下ろした。おばあちゃん特有の線香みたいなあの香りが私の鼻にかかり、長崎の田舎の海の側に住む、ばあちゃん達を思い出してしまった。ばあちゃん達と複数系で表現したのには、理由があって、親戚の多い私には、実にたくさんのばあちゃんがいるのだ。


よくある旅行会社のカウンターでパソコンのキーボードを叩きながら、堅いスーツに身を包み仕事をしていた私は、こんな状況でばあちゃんを感じ、子どもみたいな気持ちになっているのが、すごくアンバランスで不思議で、少しだけ気持ちが和らいだ。


白いカウンター席の前に並べてある青い椅子の背もたれに、手をかけながらゆっくりと腰を下ろした、お客様であるおばあちゃんは、にっこりと私に向かって、微笑んでくれて、こっちのおばあちゃんもやっぱり私に優しそうで嬉しかった。


「ソウルまで、仁川(インチョン)まで、お願い。」


おばあちゃんのオーダーは、ソウル行きの航空券、大人1枚。ソウルというか、ソウル郊外にある地方都市、仁川まで行きたいらしい。幸い仁川には、大きな国際空港があるので、日本からソウルへ行くよりも簡単だ。仁川空港からソウル市内までは早くても、1時間はかかる。


成田空港発のアシアナ航空、ソウル行き(仁川空港行き)の便を予約した後、おばあちゃんは「ありがとう、明日お金持って来るね。」と嬉しそうに帰って行った。

おばあちゃんが帰って行った後、申込書に書いてあった、名前やパスポート情報を確認していると、年齢が93歳となっていて、驚いてしまった。


その後、そのおばあちゃんの娘さんから電話があった、電話口でさっきのおばあちゃんが、「大丈夫よ。」とぶつぶつ言っているのが聞こえていた。


娘さん曰く、「93歳の老人が一人で飛行機に乗ってもいいのか?」ということだった。心配で電話をしてきたらしく、念のために航空会社へ電話して確認して欲しいとお願いされた。


内心、問題ないだろうと思ってはいたが、念のためアシアナ航空へ連絡して、聞いてみた。回答は、健康上問題なければ、搭乗可能。車椅子や空港アシストが必要なら事前に言って下さいとのことだった。


翌日、おばあちゃんと娘さんが私の前に現れた。娘さんは、少しバツが悪そうに、おばあちゃんの横に立っていて、「昨日は、お騒がせしてすみませんでした。」とペコリと頭を下げた。私は、全く気にしていなかったから、「心配ですよね。」とだけ呟いた。娘さんは、青い椅子に座りながら、まくしたてるように「そうなんですよ。いっそのこと、航空会社の人が乗せないって言ってくれれば、諦めると思って。。。。」と、私に同意を求めるみたいに喋っていた。


おばあちゃんは、「だから言ったでしょ」と言わんばかりの、勝ち誇った仕草で、淡々とお金を払っていた。チケットの発券手続きをしている間、娘さんはついに降参して、「宜しくお願いします。」と店を後にした。


そして、おばあちゃんは、私に教えてくれた。戦時中、韓国が日本統治下だった頃から戦争が終わる頃くらいまで(実際の時期や期間は定かではない。)、仁川に住んでいたこと。そして、その時、隣に住んでいた韓国人のご夫婦がとても自分たち家族に良くしてくれて、恩義に感じていることを。


だから、行ける限り毎年、彼らを訪れるようにしているのだと。



私の好きな本(岡田光世さんのニューヨークの魔法の約束)に、「国と国は、政治や外交が繋げる。人と人は心が繋ぐ。」という一説がある。


そうなんだよなぁ、と思う。


戦時中から戦後にかけて、国同士ではとても繊細で複雑で、難しい時期だったけれど、そこに暮らす人々は、日本人とか韓国人とかを超えて、見失わず純粋な心の交流は続いていたんだと思う。そういう人だったんだと思う。このおばあちゃんも、おばあちゃんのご家族も、そしてお隣さんも。


また、来年も、おばあちゃんに会いたいなぁと私は思っていた。


おばあちゃん、ソウル行き。私がまた手配しますよ。そう心で思いながら、「ご来店ありがとうございました」とお辞儀した。


Smiycle

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